ホンダCB72とヤマハYDS‐1
日本を代表するバイクブランドと言えば、「ヤマハ」そして「ホンダ」。
ホンダが自社オリジナルの二輪車を開発し、業績を伸ばしていったのに対し、
ヤマハはヨーロッパのバイクをモデルに自社モデルを作り上げ、発表していたと言う歴史があります。
ホンダCB72とヤマハYDS‐1、両者が互いにライバルとして刺激しあい、
数々の名車を世に送り出してきたことは、多くのバイクファンの知るところ。
そんな中で、ヤマハが自社の技術を詰め込んで開発したモデルがYDS-1でした。
「二輪車ならヤマハかホンダか」と言われていた時代、ヤマハがスポーツバイクを発表したことは衝撃でした。
美しいボディラインが特徴のYDS‐1は、ヤマハが開発したスポーツバイクであると言うこともあいまって、
大変な人気となったそうです。
このYDS-1と、ホンダのCB72は多くのユーザーの注目を集め、
「どちらのバイクがより優れているか」「どっちのバイクを買うか」で若者たちは大いに盛り上がりました。
この時期に、高速道路を二輪車で飛ばす「カミナリ族」が流行し、自身のテクニックを披露しあったと
言われています。
カミナリ族はこのふたつのバイクから生まれたといっても良いかもしれません。
もちろん、警察は厳しくカミナリ族を取り締まり、多くのカミナリ族が捕まりました。
カミナリ族になってまで、バイクに夢中になった人々が多かった時代・・・
その魁を作ったバイクがYDS-1であると言うことは、どこか感慨深いですよね。
YDS‐1の人気の理由
YDS-1の広告を飾ったのは、あの石原裕次郎。
キャッチコピーは「飛ばせ、跳ぶ140k/m」。派手な登場の仕方であったことも、
バイクファンの心に火をつけたといって良いでしょう。
このふたつのバイクは、バイク界に残る名車と言って良いほどの車で、
今でもバイク雑誌では頻繁に紹介されるほどの人気となっています。
バイク関連のイベントには二台そろって展示されることもあり、
そういう意味でも「名車」としてのステータスを得ているといって良いのではないでしょうか。
YDS‐1は、後に海外や国内で開催されるレースに登場。
ベーシックなレースモデルとして活躍し、多くの観客を魅了しました。
また、このYDS-1はレースバイクのベースになっていると言われ、
バイク界にも多くの影響を与えたといっても過言ではないでしょう。
今も、互いに切磋琢磨しあいながらバイク界を牽引しているヤマハとホンダ。
そのふたつの歴史はここから始まったといっても過言ではなく、
そういう意味でもこのバイクは飛鳥に貴重なものだと言うことができます。
参考サイト
ホンダC72とヤマハYDS1という名車