YZF‐R7はヨーロッパ向けに限定販売された優秀なマシン
レーサーレプリカブームに乗って登場し、当時は光る存在だったYZF‐R7ですが、元々は1999年にヨーロッパ向けに高額で約500台が限定販売されたモデルだったのです。
優秀な名車で、全日本選手縁では吉川和多留選手が乗り、他の名車を抜いてチャンピオンになりました。
翌年には世界選手権で、芳賀紀行選手がランキング2位でした。
このように、優れた走行性のマシンだったのです。
レアなモデルであるYZF‐R7
YZF‐R7はかなりレアなモデルといえます。
なぜならば、日本にあった30台以上は、ほとんどがレーシングマシンになっていたので、今、街乗りできるYZF‐R7は10台もないからです。
たとえば、今あるYZF‐R7で、ドイツ仕様のものがあります。
メンテナンスをきちんとしているので十分に乗れる状態です。
20年前の物とは思えない性能のよさになります。
前後にあるサスペンションに関しての設定がソフトになっている中古品もある
現在、あるYZF‐R7は中古車両です。
たとえば、前後サスペンションをソフトに設定して、乗り心地をよくしたものもあります。
フロントの減衰を調整してあるため、サスの反力が弱まっていても、立ち上がりの加速ではリアに荷重がいくので、ナチュラルに旋回するでしょう。
このあたりがヤマハのハンドリングの特徴です。
サーキッドで走らせても最新モデルに負けないと思われるのは、メインフレームやスイングアームが優れているところです。
そのため、速い速度でコーナーを曲がることができるでしょう。
160馬力以上発揮可能なエンジン
レースのためのECUセッティングだと、エンジンは160馬力は発揮できます。
しかし、ノーマルのままだと106馬力です。
このあたりはフランスの出力規制に承認されています。
少々カスタムされているような中古車両でも、600ccの最新スポーツモデルと同じ120馬力はでるでしょう。
パワーの出方もよく、クロスレシオのミッションもうまくきまるので峠道にも安心です。
ヤマハの主力はR7からR1に移った
1999年にR7が姿を見せたころは、スーパーバイククラスは全日本選手権最高峰レースでした。
レギュレーションは4気筒が750cc以下で、2気筒であれば1000cc以下までということなので、ヤマハが力を入れて送り出すのはR7からR1に変わったのです。
レプリカがもてはやされた時代が終わって、レースのレギュレーションも変わったことで、R7は行き場をなくしてしまいました。
こうしたことから、R7は悲劇の名車といわれるようになったのです。
二つの大きな出来事に翻弄されてしまったために、1代のみでその姿は見えなくなりました。
レプリカブームの終わりとR7は切り離せないものがあるでしょう。
R7のスペックです。
総排気量は749ccで、内径と工程は72mmと46mmになります。
全長2060mmで、全幅720mmで全高は1125mmです。
シート高は840mmで乾燥重量は176kgになります。