ヤマハRZ350誕生に至る経緯
70年代、オイルショックが原因で米国の環境保護局は厳格な排気ガス基準を設け、アメリカ向けの輸出バイクを2ストロークから4ストロークに切り替えるよう各国内バイクメーカーに求めました。
当時ヤマハは北米市場を重視し、4ストロークエンジンを搭載したバイクの開発を強化している最中です。
しかし、ヨーロッパでは2ストロークエンジンを搭載したスポーツバイクへの需要が高まっており、ヤマハの開発チームも2ストロークエンジンの開発に意欲的でした。
このため、ヤマハは究極の2ストロークエンジンを搭載したロードスポーツバイクを作成するプロジェクトが立ち上がりました。
開発チームが求めるバイクであり、GPレースで磨かれた技術が惜しみなく投入された1台を作ろうとしたのです。
具体的には、高価な素材を多用した高額なものではなく、2ストロークエンジンの魅力を存分に味わえるものを目指していました。
そこで市販レーサーTZ250/350に使用されていた水冷式並列2気筒エンジンが採用され、RZ250は35PS、RZ350は45PSの最高出力を実現するに至ります。
また、2ストロークエンジンの特性を活かすために車両の軽量化にも力が入れられ、RD400の後継モデルであるRZ250ではエンジン単体で12%、フレームで20%の軽量化が達成されました。
車体の乾燥重量はRZ250で139kg、RZ350で149kgとなります。
さらにモノクロス式リアサスペンションや65/55Wハロゲンヘッドライト、キャストホイールとチューブレスタイヤなど、最新の技術が惜しげもなく投入されました。
1979年9月にパリのショーで初披露され、同年10月の東京モーターショーではRZ250が日本で初公開され大反響を呼びます。
1980年8月発売のRZ250には予約が殺到、翌1981年にはRZ350が登場してこちらも大いに話題になりました。
RZ350のエンジンとそのパワー
RZ350のエンジンは、水冷2ストローク並列2気筒ピストンリードバルブ方式で、基本構造はRZ250と共通です。
ただしボア径がΦ54mmからΦ64mmに拡大され、排気量が347ccに増加しました。
圧縮比は6.2で点火方式はCDI、キャブレターは350ccクラスとしては小さめのVMΦ26が選択されていました。
RZ350は、当時の人気スポーツバイクであるホンダCB750Fよりも優れた3.17kg/馬力の驚くべきパワーウェイトレシオを誇っていました。
この数値は実際の走行性能にも反映されています。
適切なテクニックを使えばナナハンを凌駕するポテンシャルを秘めていました。
それゆえ、RZ350は「ナナハンキラー」とも称されていたのです。