希少車だったRG500ガンマ
希少車のRG500ガンマが作られなくなってから、30年たちました。
今では、中古車相場でもかなりの額です。
カワサキZIやホンダCB750FOURと同じくらい人気があります。
2ストローク車は生産されなくなった2000年あたりから、価格が上がっていますが、その中で一番上がっているのがRG500ガンマです。
レプリカや2ストローク車が好きという人は、GPマシンのようなバイクに乗れるのがうれしかったのでしょう。
ヤマハRZV500のような種類のバイクなのです。
RG500ガンマは中型免許で乗れる
大型でなく、中型の免許で乗れるのもRG500ガンマのよいところです。
実は、大型二輪免許取得はRG500ガンマが生産された時代では難しいものでした。
そのため、普通二輪免許で乗ることができるというのは、ありがたいことだったのです。
とりわけ、スピード感重視のライダーにとっては、手ごろなバイクだったでしょう。
ホンダNS400、ヤマハRZ350にも匹敵するバイクといえました。
2ストレプリカバイクの中でも、優れたものでしょう。
RG500ガンマはいつ生産されたのか
RG500ガンマが生産されたのは、1985年から1987年です。
2ストローク500ccエンジンのレーサーレプリカバイクで、発表は1984年9月のIFMAケルンショーでした。
そして、その時にいっしょに発売されたのは400ccのRG400ガンマです。
普通自動二輪免許で乗れるバイクなので、バイクの免許を取らなくても済みました。
2年連続チャンピオンを獲得したRGΓ500
GPレーサーRGΓ500は2年続けてチャンピオンになりました。
1981年、マルコ・ルッキネリ氏が乗ってシリーズチャンピオンを獲得したのです。
翌年の1982年はフランコ・ウンチーニ氏がチャンピオンになりました。
この時、チャンピオンを争ったのはヤマハYZR500とホンダNS500でした。
このようにして、レーサーRGΓ500は世界で一番速いマシンとなり、ライダーのあこがれの存在となったのです。
何しろ、スペックがものすごいものなので、乗るには怖いと思った人も多かったといいます。
ワークスマシンRGΓ500の市販車をめざして作られた
上記でご紹介したワークスマシンRGΓ500を意識して、RG500ガンマは作られました。
スクエア4気筒のシリンダー配列を始めとしたスペックは、RGΓ500と大体同じです。
エンジンの馬力を見ると、国内仕様のものは64PSですが、海外仕様だと95PSになります。
スズキはRG500ガンマを作るために、スクエア4気筒エンジンなどの最新技術を発揮しました。
その基盤になったのは、優れたテクノロジーや乗り心地の良さなどのスズキの信条です。
お金もかなりかけたのですが、価格はそんなに高くありません。
ホンダCB1100Rやドゥカティ900MHRと比べると大きな違いです。
そのために発売当初から、予約がたくさんありました。
しかし、生産すればするだけ、赤字になってしまったために2年で生産は終わったのです。