Aurora Automatic Machine Companyに入社したAlbert Crocker
アメリカ東海岸の出身ドリームマシンCrockerの創始者のAlbert Crockerについて、ご紹介しましょう。
大学を卒業後、大好きなバイクと機械いじりの腕を生かして、Aurora Automatic Machine Companyに入社したのです。
配属されたのはモーターサイクル・デヴィジョンで、設計や開発担当になりました。
その一方で、バイクレースに出るのも好きだったため、エンデューロレースにも出て良い成績も残したのです。
オリジナルのレーサー開発
レース好きのアルバートは、その当時のIndian Motorcycle社のプレジデントやチーフエンジニアとレースで知り合った縁で、その才能を買われてIndian社のエンジニアに転職しました。
やがて、1911年Indian社のコロラド州デンヴァー支部で、sる女性と知り合ったアルバートは恋に落ちたのです。
事故が原因で亡くなられたボードトラックレーサーEddy Hashaのと知られている未亡人Gertrude Jefford Hashaでした。
二人は結婚し、仕事も順調でカンザスのディーラーになった彼は、店をアメリカ・ミッドウエストのIndian販売の中心となるほどに成長させたのです。
そして、家族で西海岸のLAに移住して、ディーラーFreed Indianを買い取り、バイク販売業を再開しました。
夢だったオリジナルのレーサー開発に乗り出し、優れたエンジニアでありデザイナーでもあるPaul Bigsbyとも手を組みました。
二人は仕事が終わると、ガレージで夢のレーサーの開発にいそしんだのです。
その結果、排気量500ccのOHVシングルシリンダーを作り、レースバイクのオーダーをもらうようになりました。
CrockerのSmall Tankが世に出た
アルバートは1932年に、世界屈指のカルトカンパニーといわれたCrocker Motorcyclesを作りました。
そして、1936年にSmall Tankと呼ばれるモデルが誕生したのです。
HEMIという排気量1000ccの初期Vツインモデルでした。
市販車の中で一番強いとされるMAX60HPで、ライバルだったIndianやH-Dのトップモデルの40HPを見事に引き離したのです。
Crocker社の歴史が終わる
残念なことですが、1939年に排気量1491ccのBig Tankを作りながらも、世界大戦の影響で1942年にCrocker社の歴史が終わりました。
たった10年間の会社でしたが、その間に50機のSpeedway Racerや100台のVツインモデルを生み出したのです。
さらにScootaboutという世に知られなかったモペットも50台製造しました。
短い間でしたが、大きな働きをした会社だったのです。
ドリームマシンCrockerの特徴や魅力
ドリームマシンCrocker はV型45度バンクOHV HEMIエンジンで、車重218kgのマシンです。
最高速度は180km/hになります。
排気量が1000~1490ccで、レーサーは好きなようにオーダーできるのです。
コスト面の妥協なく作られていたので、レーサーと一部のお金持ちのためのドリームマシンといわれました。
特徴は、フューエルタンクがセパレート式になっているところや、アルミ鋳造でオイルが右、ガソリンが左に位置付けられているところです。
そして、CORBIN製のスピードメーターや、おしゃれなハンドルバーが大きな魅力でしょう。