ドゥカティの歴史

ドゥカティとはどういう企業なのか

ドゥカティといえばバイクメーカーとして世界的に知名度の高いメーカーです。
バイク好きな人はもちろんのこと、バイクにそれほど興味がない方も、雑誌などでふと目にしたことがある企業名ではないでしょうか。

アドリアーノ、ブルーの、マルチェッロ・カヴァリエリ・ドゥカティという3人の兄弟が父、アントニオから支援を受けて自分たちの夢を手にし、1926年7月、現在世界的に有名なバイクメーカーとなったドゥカティを設立、今年で実に90年という歴史を持っている老舗バイクメーカーです。

創業した当時はボローニャの中心地、Via Collegio di Spagna 7という研究室でこじんまりと営業していた企業です。

社員は2名、そして秘書のみというスタートでした。
この先、兄弟たちが現代のバイクブランド「ドゥカティ」という世界屈指のバイクメーカーになることをだれが予想できたでしょう。

最初に作った製品はバイクではなくコンデンサーだった

ドゥカティが最初に作った製品は何か?実はバイクでもなくエンジンでもなくコンデンサーでした。
1ユーロコイン程の大きさしかないManensと呼ばれるコンデンサーは、小さいけれどもこの当時、新しい技術を駆使したものとなっていました。

この数年後、コンデンサーは一気に人気製品となり、生産数が増大し、ドゥカティ一族が所有していたという別荘を工場に建て替えます。

新しい製品づくりがどんどん知名度を上げていき、1953年、ボルゴ・パニガーレ工場建設のために一つのレンガが積まれたその当時、ドゥカティが作り出す製品は計算機にカメラ、ラジオなど多数の製品となっており、特にフィルムカメラなどは精巧な作り、こだわり、質の高い製品として信頼性を確固たるものとしていきます。

ドゥカティは名実ともにイタリアの中でも有名な企業となり、1936年には社員数が1200人に増加するなど、一大企業となっていったのです。

しかしこのドゥカティも戦争の力に屈することになります。
第二次世界大戦は多くの企業に打撃を与えていきましたが、ドゥカティも同じく、1944年工場が破壊されるという状況に陥ってしまったのです。

ドゥカティの復活、クッチョロの登場

戦争の後、ドゥカティは不屈の精神で急速な復活を遂げます。
この時にこの復活劇の立役者となったのがクッチョロという4ストローク原動機付き自転車でした。

イタリア全土でクッチョロは高い人気を得ることになり、ドゥカティの新しい歴史を作り出す代表とされる製品となったのです。

ドゥカティ兄弟が企業を動かしていた時代は1948年に終焉を迎え、その後、モーターサイクルへの転向を果たします。

1954年、ドゥカティはドゥカティ・エレットロ・テクニカという企業とドゥカティ・エカニカという企業に分割され、ドゥカティ・エカニカという企業が現代のドゥカティに至る歴史を作り上げたファビオ・タリオーニ率いる企業となりました。

レースの歴史を不動のものとした時代

タリオーニは技術者として非常に質の高い技術を持っており、1000以上のプロジェクトを担当し、レーシングバイクの中にあってこれぞレーシングバイクと呼ばれるマシンを作りだしました。

中でも、ドゥカティのデスモドロミック・システム、L型2気筒エンジン、トリレスフレームは彼が作り出した最高の発明といわれています。

こうした最先端のプロジェクトによって高い技術を駆使したバイクは、あっという間にレースを掌握していきます。
数々のレースに参戦し輝かしい成績を残したドゥカティは、レースの世界でも企業としてトップレベルに達したのです。

その後、他の企業の傘下に入るなど紆余曲折しながらも、ドゥカティという歴史を切らすことなく美しく魅力的なバイクを作り出してきたドゥカティは、継続的成長を遂げている企業として現代にその名を知らしめています。

魅力あるバイクを作る企業の背景には、様々な歴史と努力、挫折と苦労があり、だからこそ今も輝く企業となっているのです。