DUCATI 900MHRの特徴
1978年、イギリスのSMCはマイク・ヘイルウッドを擁してマン島TTレースに参戦しました。
その際、時速178.02km/hの驚異的な最速ラップを達成し、当時無敵とまで称されたホンダ・ファクトリーチームのRCB艦隊を破り見事優勝を果たします。
この偉業を成し遂げたマイク・ヘイルウッドは、1960年代に世界GPをはじめとするさまざまなレースで圧倒的な戦績を収め、世界最高のライダーとして名高い存在でした。
しかし、マン島での優勝は彼が第一線を退いてから7年が経過した38歳のときのことです。
さらに驚くべきことに、彼が操ったのはドゥカティのファクトリーマシンではなく、SMCがチューニングを施したNCR製市販レーサーでした。
この偉業を称えるために、「900MHR(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)」が発売されました。
当初ドゥカティは1979年の限定モデルとして900MHRを販売する予定でしたが、その評判が非常に大きかったため、レギュラーモデル化が決定されました。
そして1980年代に入ると、量産仕様のMHRが引き続き販売されることになりました。
DUCATI 900MHRのエンジンと各モデルの特徴
「レプリカ」の名が冠されているものの、実際には特別なチューニングモデルではありません。
新たに設計されたのは外装関連部品で、空冷4ストロークベベルギアL型2気筒のデスモドロミック機構を駆動するベベルギアエンジンや車体などは、同時期の900SSとほぼ同様でした。
1979年の初期型限定モデルから1984年に登場した最終モデル「1000MHRミッレ」まで、毎年のように仕様変更が実施され、同じMHRでも年式ごとの違いは大きいです。
また、1985~1986年に販売された後継モデル1000MHRミッレまでを含めると総生産台数は7000台に達し、ドゥカティの歴史の中でも大変成功したシリーズの一つとなっています。
1979年の初期型900MHR(限定仕様)は、一体型フェアリング、シングルシート、カンパニョーロ製ホイール、そして、コンチ製マフラーが見どころでした。
1980年のモデルでは、フェアリングやマフラーはそのままに、ホイールがFPS製へ変更されます。
シングルシートはデュアルシートの後部にカバーが取り付けられるスタイルです。
1981年のバージョンではフェアリングが上下二分割式へと進化、1982年のモデルではシートカウルにサイドカバーが追加され、フレームは後期モデルでワイド化されました。
1983年モデルでは、キャブレターのエアファンネルがエアクリーナーボックス搭載になり、オイルフィルターが濾紙式からカートリッジ式へと進化しました。
さらに、1983年後半からは新開発のセルスターター式エンジンが導入されています。